吉田城

別名- 付近住所 滋賀県犬上郡豊郷町吉田 現在 ㈱岡村本家 
2009/7/20 碑・案内板アリ


吉田氏 佐々木源氏の一流、佐々木秀義の六男巌秀(いわひで)がこの地に封邑を得て吉田氏を称した。
兄、四郎高綱は、寿永3年(1184年)かの宇治川の合戦で名馬「生唼」(いけづき)を駆って先陣を争った武将である。吉田城は、岩倉川と子増川を自然の外濠として、その水を引いた内濠をめぐらして築城されたようである。
現在はその内濠の大半が埋められて僅かしか残されていないうえ、城は元亀2年(1571年)の宇曽川の戦いで織田信長軍の馬蹄に踏みにじられ焼き討ちにあって、あとかたもなく焼きつくされてしまった。築城時の史記はおろか、落城の伝承は何一つ残されていない。
吉田氏は、子々孫々この地に地頭(ぢとう)として生きのびたが巌秀の九世孫の徳春(とくはる)の代に京都嵯峨へ退隠して角倉(すみのくら)の家祖となる。
江戸時代の豪商角倉了以(りょうい)は、その子孫である。